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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年05月29日

初投稿!

みなさん、たいへんご無沙汰しておりました。

COMBAT DOLL 店主の中根です。
と言っても、知る人ぞ知るといったところでしかないのですが(汗)
何はともあれ、これからも宜しくお願い致しますm(_ _)m

昨年7月に、12年以上続けていたお店を閉店し、もう1年近く経ちました。

本業から、副業に変更しての再スタートとなりますが、初めての方が大半ですので、私個人のエアガン暦などを紹介しながら、ショップの歴史を紐解いてみようと思います。
興味のある方は、引き続きお付き合い頂ければ恐縮です。

1967年12月21日生まれのいて座の遊び人、40半ばの初老のおっさんです。

私の世代は駄菓子屋のおもちゃの鉄砲は、グローバルスタンダードな時代でしたが、今のようなBB弾を発射するエアガンは無く、銀玉やプラ弾、火薬連発銃が基本でした。
小学校の低学年(昭和51年)に初めて買ってもらったガンは、ルパンⅢ世の影響から、マルシン製の金属モデルガン「ワルサーP38(金色)」で、エアガンは翌年に0011ナポレオンソロの影響で増田屋のデタッチャブルシリーズSS-3で、BS鼓弾(ピンクのテルテル坊主)仕様でした。
当時は結構威力もあり、おもちゃ屋さんでは人気アイテムでした。

BB弾が出始めたのは中学生の頃だったと思いますが、実際、エアガンの飛距離はたいしたことが無く、モデルガンの方が好みでした。それは、19歳まで続いていたかな~。

20歳になる年に、模型屋を開業するべくおもちゃ業界に就職し、そこをきっかけにサバイバルゲーム(以下、サバゲ)の世界を知る事となります。馬鹿にしていたエアガンが、物凄い進化を遂げ、戦争ごっこを体感できるレベルになっていた訳です。

本当に「目から鱗・・・」状態でした。

初めてのアームは、JACのUZIとMGCのM559だったのですが、不良品を先輩に乗せられて購入したものでした。当時はほとんどのガンは半完成品のような状態で、あたりを付けたりするのが当たり前だったので、今で言う「カスタム」が前提条件の仕様でした。不良品と言っても安く買って直す方が断然お得な時代だったんですよ。
フロンガスのブースター缶からエアタンクに代わり、火炎放射器のゲル化剤タンクのような雰囲気で背負ってました。今の電動ガンの仕様からは想像もつかないでしょうね(笑)。

性能が上がって、問題が浮き彫りになったのが「威力(パワー)」でした。細かくは説明しませんが、怪我をしてしまう威力だった為に、法規制までにはなりませんでしたが、協会(ASGK)での自主規制が強化される事となりました。
当時は、「遊戯銃(撃ち合いに使用)」と「競技銃(的撃ちに使用)」とエアガンが区別されていました。撃たれても怪我をしない威力の物は遊戯銃・撃たれた場合に怪我をしてしまう危険のある威力の物は競技銃、と言った具合です。

ちなみに、電動ガンは自主規制の威力の関係から競技銃だったんですけどね。
昔の電動ガンの箱にはしっかり明記されます(苦笑)。

ホップアップが付いてからは、電動ガンの独壇場でエアタンクを使わなければならないガスガンメーカーは失脚してしまいました。1990~94年頃の時期でした。
私自身、この頃が仕事の忙しさと結婚などのプライベートの生活の変化で、サバゲに参加がままならず、98年8月の「COMBAT DOLL」オープンまで、5年位の間は「休眠ゲーマー」でしたが、仕事として商材を扱っていたので、知識だけは持っていた訳です。

細かいエピソードは、後々、ブログで紹介することもあると思いますので、その時は、笑って読んでもらえれば幸いです。

独立開業までの簡単な経緯でしたが、とりあえずこの辺りで一区切りしますね。

COMBAT DOLL 店主・中根  


Posted by コンバットドール  at 17:50Comments(0)コンバットドール